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私の原点、瀋陽への思い 稲垣廣太さん
瀋陽で日本語を教えていたときの教え子たちと。
「思春期を過ごした瀋陽は第二の故郷。また戻りたい」
8月23日、大阪市内の中華料理店「金華酒店」で開かれた日中交流会。関西地区で学ぶ中国人留学生などの在日中国人と主に日中ビジネスに関わる日本人が交流した。羽曳野市に住む稲垣廣太さんは流暢な中国語を話す。隣に座った張鴻波さんが瀋陽市出身と知ると、瀋陽への思いを語り始めた。
大阪の道修町で製薬業を営んでいたおじが、1937年、当時の奉天(現在の瀋陽市)に支店を出した。進学をさせてもらうことを条件に瀋陽の店を手伝うことになった稲垣さんは、13歳で単身海を渡る。それから癌の母を見舞うため日本に戻るまでの5年間を瀋陽で過ごす。思春期の心に瀋陽での体験は強く刻みこまれた。
「あの頃、確かに日本人の横暴さは目に余るものがあった。中国人のひく人力車に乗って、料金を踏み倒すなど大人がよくやっていました。私は子どもなりの正義感で憤慨したものです」。当時の瀋陽では日本語さえ使えれば困ることはなかったが、夜間の語学学校に通い中国語を身につけた。「北京出身の陳先生にお世話になった。中国語の検定試験を受ける私のためによく教えて下さった」。目を細めて当時の思い出を話す。
帰国後は京都府庁勤務や保険の外交などの仕事を経て会社を興す。現在の消費者金融の先駆けとなった企業だ。業界団体の会長を長く務め消費者金融業の発展に貢献してきた。
70歳で一線を退いた稲垣さんは、単身で再び瀋陽市に渡る。現地で民間のアパートの一室を借り庶民の暮らしに溶け込んだ生活を十年続けた。主に現地の大学や日本語教室で日本語を教えていた稲垣さん。日中の若者たちに接する中で強く思うことがある。
「今の日中関係は友好があっても友情はない。絶対に自分のものさしで相手を考えたらいけない。率直にそれぞれの考え方を述べて、しかもお互いに尊重しないといけない。すぐに対抗しようとしてはいけないね」。
中国人の本音に身近に接してきた稲垣さんだからこそ見えるものがある。
「ほんまに仲良くせんとあかんのですわ」。隣の張さんに何度も訴えた稲垣さん。いつかはまた瀋陽に戻って、できれば瀋陽に骨を埋めたいと思っている。
「青春を過ごした瀋陽は私の原点ですから」。
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